東日本大震災から1年という日を、みなさまどのように過ごされたでしょうか
わたしは、日比谷公園で開催されているピース・オン・アースに土日とも参加
坂本龍一+編纂チームのブースにおじゃまさせてもらい
参加しているFreePetsのグッズや、反核、NO NUKESシールの販売をしました
デモも応援してましたよ〜
今日は、どうしてわたしが原子力がいけないと思ったのかを記したいです
明日からまた、スターの隠し撮り?含めww楽しいことも書きますので
今日は、許してくださいませ
1年前、3月12日、午前9時04分、住民が十分に避難していないまま
福島第一原発事故1号機で最初のベントがされ
大量の放射能が大気へと放出されました
そして15時36分、最初の爆発が起こり
さらにたくさんの放射能が・・・
チェルノブイリの爆発の瞬間の映像はありませんので
原発が爆発した映像は福島第一原発が世界で初めてのこと
広島・長崎は原爆が人々の住むところに落とされた世界で初めての映像
これら世界で初めての爆発の映像は、ともに日本なのですね・・・
若い頃、スピリチュアルな問題に感心を寄せました
もちろん今でも、そういったことも大切だと思います
しかし、あるきっかけで、気がついたことがありました
生きているのはこの場所だ、そこに問題はたくさんある
地に足のついた問題に目を向けないと大変なことになるのではと
環境問題、動物実験問題、社会問題など
自分の思うことをネット上で書き始めたのですが
しばらくして、原子力の問題をいろいろと知るきっかけがありました
10年弱前でしょうか
それまで、無知だったのです!
核が怖いのは理解していましたが、原発がここまでとは、と・・・
あまりにもひどい問題で、何故今まで知らずに生きてたのか、と・・・
そして、いくら環境に配慮し、有機の食材や化粧品で体に気を使ったところで
原発事故が起きて放射能が飛んできたら、すべての努力が水の泡・・・
そう思ったのです
その時に考えたコピーが
「反核は究極のエコ」
もし、環境が汚染されていなければ
野菜も作れる、水も綺麗で飲める、魚も、野草も木の実も果実もあり
木や石があれば家を建てられ、火を起こせば暖もとれるし、明かりにもなる
きっとそうやって人は生きてきた
大変でも、やり直すことができる
でも、放射能がまき散らされたら・・・
野菜は作れない、飲む水もない、魚も野草も木の実も果実も食べれられない
木も石も汚染されて、建材にできない、燃やしてはいけない
将来、病気で健康を害したらどうにかしたくても、頑張ることができない
やり直すことができない
電気だけあったって、電気なんて食べられないし
被曝してしまったことを、なかったことにするなんてできないのだから
そもそも
原発の燃料となるウランを掘るところから、人が被曝をしています
今のように事故が起きたらもちろん、作業員が被曝しながら働いています
しかし、事故ではない普通の運転でも、13ヶ月に一度ある定期検査や、修理で
たくさんの作業員が被曝労働をしているのです
被曝労働の96%が東電社員ではない下請け労働者で
将来病気になっても、ほとんど労災が認められない
誰かの健康や命の灯火を消してまでつける灯など暖かいはずがない・・・
しかもそこから出る放射性廃棄物は、最終的な行き場さえきまっていない
管理に要する年数は10万年とも100万年ともいわれている
建物自体も放射性物質になってしまうからその量はハンパじゃない
チェルノブイリやイラクの劣化ウラン弾に苦しむ人たちの姿で
十分すぎるほど、もうわかっているのだから・・・
私は原子力に反対だ、とはっきり思いました
問題ばかりここまで揃っているけど、情報は権力者に潰され出てこないし
そのことを書いている本も専門家の話もどうも難しくて
ビジュアルもいけてなくて、気軽に友達にススメられないし・・・
(ある意味ブスカワイイのもあるんですけど)
だったら、自分で勉強して書くしかないなと・・・
そして、書き始めたことに共感してくれた多くの友人たちが
情報を広めてくれたことがきっかけで
ライターという道に進むことになりました
(わたしが書く噛み砕いたことを一つの踏み台にして
素晴らしい知識を教えてくれる専門家の講演に足を運ぶ人が
増えるようにと願っています)
今回の大事故で誰もが実感していると思いますが
私がなぜ原子力の問題を伝えていかなければと考えたかというと
それは、実は、とっても身近な問題だからです!
311以前は、原子力の問題は、身近ではない
特殊なことで別次元、生活に関係ない、そう感じるよう
政府も教育もメディアも仕向けてきていたので
関心がなかったのも、ある意味しかたのないことよね
でも、福島第一原発事故が起こったいま
専門家のようにではなくても、学校教育で教わるくらいには
知っていかなければならない・・・
とはいえ、知識だけあればいいというものでもないと思うの
知識と同時に、それを扱う心がそなわってなくてはいけないわ
だって、知識だけの頭でっかちになって心が小さいと
原子力のような欲や権力にまみれた世界に染まってしまう・・
心、愛情と知識とのバランスが、大切なんじゃないかなと思う
そこそこの知識と、あとは愛情があれば、良い判断ってできるはず
周りの人を大切に思っていれば、見えてくることがたくさんある
その大切な人にとって何が幸せか考えればいいのかな〜って
子どもの将来を思って今立ち上がってるたくさんのママたちがそうよね
文明や科学が悪いといっているのではないのよ
それって元々、人の役にたつようにと生まれたものでしょう?
ちゃんと人の役にたつように使わなくっちゃね!
すべての問題に共通していることですよね
例えば食べ物!
コンビニ、ファーストフードばかり、料理もしないとなると
作ることの大変さとか、作ってもらうことのありがたみがわからない
願えば料理が数分で出るとか、そんな魔法ないからね〜
誰かがどこかで作ってくれているのよ・・・
お米とか野菜を作った人のこと、その手間や苦労
野菜でも肉でも、その命をいただくことへの感謝・・・
それを思うと、食材を大切にしようと自然と考えるだろうし
美味しく調理されたほうが食材が喜ぶだろうから上手に料理したいと思う
(失敗することもあるが・・・)
エネルギーに対してもきっとそう
おじいちゃんが苦労して割った薪、自分が苦労して拾ってきた枝なら
きっともったいなくて大事に燃やすでしょ
だから、顔の見えないコンビニ弁当毎日生活のように
(コンビニごめんなさいね)
遠くから電線で自然に運ばれてきている見えないもの、というのではなく
これからは、地域で、作る人の顔の見えるような
身近な発電を広めていったらどうかしらね
電気が悪いから使うな、ではなく
作る方法を変えれば、それでいいんじゃないかな?
悪いのは作り方と、それに甘えてきた使い方だわ
もちろんそうなれば、省エネもしなくちゃだけど
今までみたいなひどい電気の使い方をしなければいいじゃない
そして、ものを作ること、人が生きることは
多かれ少なかれ、自然を汚してしまうということだから
家賃無料のこの地球を、できるだけ汚さないように
感謝して心がけていけばいいのではないかしら
これは何ベクレルかしら?汚染されてないかしら?
買い物も外食も心から楽しめない毎日はいやなのよね
大好きなお寿司が食べられないのはいやなのよね
せっかく綺麗にメイクしたのにマスクしたくないのよね
サーフィンが好きなのにできないのはいやなのよね
子どもにあれはダメ遊んじゃいけないって怒るのいやなのよね
ほら、あればいやこれはいやって、いやなことばっかり出ちゃう
わたしは、そんな風に思わずに、楽しく生きたいの
節電がちょっとくらい不便でも、大金はなくてそこそこでも
いやだいやだって思う生活よりずっといいわ〜
もちろん、では原発で仕事がなくなった人の生活はどうなるのか
廃棄物の最終処分場はどこにするのか、など
クリアしていかなければならない問題ってたくさんあると思うけど
ちゃんと、ゴールが決まってないと
手元、目先のことばっかり取り繕っていては
何も進まないし、よくなっていかないんじゃない?
原発はやめる
そういうゴールを決めて、それに向かっていく過程で出てくる問題を
一つずつ解決していく、そう進んでいくべきじゃないのかな〜
わたしは天才ではないので、こういう言葉でしか語れないけれども
もっとみんなで、身近なこととして考えていきたいなと思います
こういう問題を追いかけているわたしを
いつも応援し支えてくれる友人知人に感謝をこめて・・・
さて、明日からまたうほほいなことを書いていきますね〜